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「斬、」塚本晋也監督作品池松壮亮主演

塚本晋也監督の最新作しかも初の時代劇。

その名も「斬、」

を渋谷ユーロスペースで見てきました。

クラブ通いによく通った道でclub asiaの真隣です。

懐かしい。

時代に対する感度が高過ぎてどの作品も切れ味鋭めな塚本晋也監督ですが、今回もだいぶ切れています。

 

あらすじを書くのがめんどくさいのでwikiから引用します。

 

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/斬、

250年ものあいだ泰平の世が続いた江戸時代末期。困窮で藩を離れる武士も多く、江戸近郊の農村に身を寄せる若き浪人・都筑杢之進(池松壮亮)もその一人だった。杢之進は農家を手伝い食つなぐ日々を送りながら、農家の息子・市助(前田隆成)に剣の稽古をつけ自身の腕も磨き続き、市助の姉・ゆう(蒼井優)とは身分の違いがありながらも密かに想い合っていた。この頃、国内は開国するか否かで不穏な空気が漂い、ゆうは杢之進が村を離れ中央へ参戦する日が近づいている事と武士に憧れる血気盛んな弟を心配していた。ある日、三人は一人の剣豪・澤村(塚本晋也)と出くわす。杢之進と市助の稽古を見ていた澤村は杢之進の剣の腕にすっかり惚れ込み、自分の組織の一員として江戸へ行き、泰平を守るため京都の動乱に参戦しないかと二人に声を掛ける。誘いを引き受け、市助は農民の自分も連れて行ってもらえると喜ぶが、杢之進は剣の才能はあるが人を斬った事が無くそんな自分に葛藤する。そんな時、どこからか流れ着いてきた無頼者(中村達也)たちが村にやって来る。悪い噂の立つ彼らの存在に農民たちは怯え、剣の立つ杢之進にどうにかしてほしいと願うが、杢之進たちが江戸へ旅立つ前に小さな村で事件が起きる。

 

貼り付けたは良いけれどしこたま読み辛いですね。

私が「斬、」で凄いと思う所は「時代背景の現代とのリンク」と「主人公の都筑杢之進が人を切れない侍」という設定にした事です。

 

あらすじにある通り、開国目前にして動乱が起きようとしている江戸時代末期です。

何かが起きようとしているその不安感が全体に広まっています。

しかも農村の人達と侍、浪人達で理解度に差はついていますが、全体の見通しが付いているのは誰もいません。

また、澤村という急先鋒の浪人が出てきます。

農村の人達、杢之進、澤村とそれぞれの考え方が違う人が同じ空間に存在しています。

 

これは現代の日本を時代を変える事でかなりリアルに描き出していると思いました。

情報が手に入り易くなり、全国どこにいても何が起きているのかは把握しやすくなりました。

それにより不安感と無力感に囚われています。

また個々人間の情報に対する理解度の差が広まり続けています。

更に声の大きい人達の揶揄が何処にでも見受けられる様になり、それに簡単に影響を受ける事も少なくはありません。

この全てを小さな農村のたった4人で描き出しています。

 

そしてその中で主人公の都筑杢之進を通して個人がどの様に揺れ動くかかを描写しています。

人を切る事が出来ない侍がこの映画の主題なのですが、この場合の切れないは「切りたくても切れない」という甲藤を描いています。

切りたいという気持ちが何処から発現するものなのかという見方でかなり解釈が違ってくると感じました。

切りたいという気持ちが自己の暴力性によるものとするとラストシーンの描写が自分としてはありきたりなものだと思います。

 

しかし切りたいという気持ちが社会的な立場、教育によるもの、つまり後天的に付与されたものだと考えるとラストシーンとの統合が取れ話が変わってくると思いました。

これは現代で言うマイノリティーLGBTの方々や女性etc)が直面している社会通念上の性と自身の性との歪みの問題、苦しみを表しているからだと思います。

 

一言で纏まるとこの映画は現代におけるマイノリティーに対する迫害とそれによって起こされる個々人の苦しみを描いていると感じました。

 

更にここで迫害(やりたくない事をやらせる、自由を侵害する)を加えているのは澤村という浪人が個人的に行っています。

 

今迄の塚本監督の映画のテーマは「都市と肉体」という所にありました。都市とは社会全体の象徴であり、その中で惰弱な存在としての人間の肉体を通じて個人から社会に対しての不満の捌け口としての暴力性を描いていました。

しかし「kotoko」以降「野火」そしてこの「斬、」になると都市としての社会は消え去り「都市と肉体」から「肉体と暴力」へテーマ変革が伺えます。

つまり暴力性は個人間へと向いていて、次のステージへ移ってしまったのだと思います

 

勿論この変化がいい事であると私は思いません。

 

私はこの映画を見た後日、友人と話した際に、かといって無力感はどうしようもないものだと言いましたが、その友人は「無力感に苛まれる程その事柄が酷いと思うなら、尚更行動に移すべきだ」と言われました。そしてその時に話していた事柄に対するウェブ署名を教えてもらい、その場で署名しました。

 

この映画の様に江戸時代末期であれば流されるままに終わってしまう世の中ですが、現代は色々なやり方で行動が出来きます。

それが最も重要な事であるとこの映画の問題提起に対しての私なりの答えです。