j.w.a

jap wit Attitudes 主張する日本人

サイレンスsilenceハクソー・リッジhacksaw ridge

早稲田松竹で見たサイレンスとハクソー・リッジ

両方とも主演がアンドリューガーフィールド

 

かなり異なるタイプの主人公を演じていた。

 

周りの人の協力で、自分を貫く事が出来た人。

たった一人で自分の未熟さに負けた人。

 

二人の差はプライドが何に寄っているかの違いであったと思う。

 

間違いを犯した者と、犯さなかった者の違いでもあるかもしれない。

 

幼少の頃弟を傷つけてしまった事により、汝殺すべからずという教訓を本当に理解する事が出来た。

 

ロドリゴ神父にはそのような経験が無かったのかもしれない。

 

勿論其れが普通であり、そのような行動を取って来た事は美徳である。

 

本当の意味での英雄はロドリゴ神父の方だったのだろう。

 

しかし、もしドス二等兵ロドリゴ神父の立場にあれば、自死も辞さなかったのでは無いのかと思わないでも無い。

 

ジョルジュバタイユによるとキリスト教は侵犯を禁止している宗教であるらしい。

 

聖職者にとって自死とは侵犯に他ならず、それを選択しなかったのは聖職者としては当然の事なのだろう。

 

ここまで書いて来て気がついた事がある。

生きて行く事こそが反抗であったという事だ。

 

ロドリゴ神父は日本式に火葬されるが、映画ではその時、モチキから貰った木彫りの小さな十字架を手に持っている。

 

転びのロドリゴと呼ばれながらも密かに信仰を持ち続ける事が。

モチキ達と同じように死んだ時、火に焚べられるその時まで。

信仰を密かに持ち続ける事が殉教者に対するロドリゴ神父の慰めだった。

 

二人の違いは、目的に対する手段の違い、アプローチの違いなのかもしれない。

 

二人とも人に寄り添い、励ます事が出来た立派な人物であった。

 

英雄というのは、人に希望と勇気を奮い起こす事の出来る人間のことを指すのかもしれない。

 

 

人気ブログランキングへ

 

 

にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村