j.w.a

jap wit Attitudes 主張する日本人

花筐。「奪われる物の違い」

有楽町のスバル座?で見てきました。

(名前合ってるかわからない)

見て来て思ったのだけれど、今迄の戦争映画とは違う事について描いていた。

視点がぐーっとミクロにクローズアップしたのを感じました。

今迄の戦争映画だと命や生活が奪われる事が多かった。何万人が死んだとか、空襲で焼け出されたとか。

けれどもこの映画では、自分らしく生きる事を奪われていました。

戦争の悲惨さよりも、個人が息を殺して過ごす悲惨さが描写されていて、現代社会の現状を描いていた。

つまり、戦争自体は単なるトドメに過ぎず問題はもっと前から始まっていたのだと思う。

劇中の主人公とその周辺の人々は今現在の若者とその周辺の人々とは全く同じ立場にある。

逆か。後者が前者と同じ立場にあると言うべきだった。

戦争が迫っているひりつく緊張感の外に若者がいて何も知らずに消費されていく目前に自分達が生きているのだと言いたかったのだと思う。

実際若い人達はもう消費されている。

日々の生活で大きな存在に消費されて消耗している出涸らしに成りかけている。

keep it realとか言うけれどrealの幅がとても狭まって来ていると感じる。

手の届く情報の範囲が広まっているからこそ、手が届く情報だけに囚われてしまって複合的に、メタ的に考える事が出来なくなっているのだと思う。

今胸焼けを起こしている人達はどれだけいるのかと。タイラーダーデンの様にはっきりと僕の目は開いていると言い切れる人がいるのかしらと。

思いました。

 

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